定理などを書くとき、普通は newtheorem で新しい環境を定義するが、 英文で使っている場合は通常とは別の字体を使って、定理と地の文章を区別する。 ところが日本語の文章の場合は (フォントが限られているためか) 定理と地の文章を 字体で区別することはできず、どこまでが定理でどこからが地の文章か、 紛らわしいことはなはだしい。 という理由で定理などを枠で囲みたい、と考えるのは自然な感情だと思う。 (私が罫線好きと言われる日本人だからかしら…)
以下に書いてあることは個々の事実はネットで拾ったものが多いが、
は出色でぜひ一度アクセスしてみることを勧める。(2025年8月追記) さすがに Server not found になってますね。 Internet Archive でも不完全な形でしか残っていないみたいで残念です。